何の話か
- かつてインプットの目的が短期的なアウトプット(ブログなど)になっている部分があった
- つまり、気になるテーマについて学習するのではなく、短期的なアウトプット(ブログなど)のためにインプットをする、みたいな癖がついてしまっていた
- これをやめた
アウトプット is
- ここではアウトプット=超狭義な意味でのアウトプットとする
- 記事とかブログとかそういうの
- 学びによって豊かになった人生そのもの、みたいのは対象外
- 本質的にはここの問題
注意
- アウトプットをやめろ、みたいな話ではない
- 意味のあるアウトプットはコミュニティにとって素晴らしいし、書く人にとっても間違いなくメリットがあるはず
どういった問題があったか
なぜインプットするのか
- 俺にとってインプットの目的は本来短期的なアウトプットではなかった
- 記事とかブログとかそういうの
- 俺は俺が知りたかったり、必要だったりすることを知るために学習している
アウトプットを意識しすぎる
- コストパフォーマンスが良い方に行動を最適化してしまう
- アウトプットを意識しすぎると、学習の目的そのものがアウトプットになってしまう
- 本来は 俺は俺が知りたかったり、必要だったりすることを知るために学習しているはずなのに
すると?
- 学習のテーマが「アウトプットのしやすさ」に左右される
- 理解に時間がかからなくて、日本語の解説記事がない、みたいなものへのインプットが重視される
- これは自身の美意識によるところもある
- 誰かがすでに解説しているものを、ほとんどそのまんまコピーしたようなブログを書きたくない、みたいな
- 他人がやる分にはどうでもいい、自分の話
- 誰かがすでに解説しているものを、ほとんどそのまんまコピーしたようなブログを書きたくない、みたいな
結果?
- 基本的な知識であったり、複雑で難しい話に正面から取り組もう、みたいな意識が薄れる
- コスパが小さい(気がしてしまう)から
- これは自分にとっては例えば CPU の仕組みであったり、暗号の基礎であったり、TLS の仕組みであったり、みたいな話だった
- これらはめちゃくちゃ詳しい人がたくさん解説してくれているので自分に書けるような話は読書感想文みたいのを除くとほとんどない
- ので、インプットに対するアウトプットが 0、という状態が簡単に起こり得る(広義のアウトプットは 0 ではない、のに)
- 評価基準をアウトプット(ブログ)としてしまうと、このようなインプットはコスパが悪い、となる
- ので、インプットに対するアウトプットが 0、という状態が簡単に起こり得る(広義のアウトプットは 0 ではない、のに)
- これらはめちゃくちゃ詳しい人がたくさん解説してくれているので自分に書けるような話は読書感想文みたいのを除くとほとんどない
- でも自分にとってはそっち(アウトプットの効率が悪いインプット)のが楽しかったし、今後もそっちに注力したほうがもっと楽しいと思っている
- 俺にとっては目新しい目の前のツールの使い方よりも、こういう学習のほうが楽しかった
- ツールについて学ばない、というわけではない
- 割合の話
- ツールについて学ばない、というわけではない
- 俺にとっては目新しい目の前のツールの使い方よりも、こういう学習のほうが楽しかった
だから?
- 短期的なアウトプットを自分の中の評価基準に入れるのをやめた
- とはいえインプットの過程でこれについて解説したら嬉しい人いるんじゃないかな、みたいのはなるべく書くようにしている
- 「何か自分なりに説明する」という行為は知識の定着につながる
- んだけど、「誰かがすでに解説しているものを、ほとんどそのまんまコピーしたような文章を公に向けて書きたくない」という感情は全然ある
- 俺自身の美意識の問題
- public にしないでノートを付けることにした
- 別にこれでも定着するっぽい
- フィードバックがない、という問題はある
- 別にこれでも定着するっぽい
- んだけど、「誰かがすでに解説しているものを、ほとんどそのまんまコピーしたような文章を公に向けて書きたくない」という感情は全然ある
まとめ
- インプットの目的が短期的なアウトプット(ブログなど)になっていた
- すると、インプットのテーマ選びに、「短期的なアウトプット」という目的への最適化がかかる
- なんだけど「短期的なアウトプットのコスパがよいインプット=自分が本当に知りたいこと」ではなかった
- ので、そういう考え方をやめた
- 時間のかかるテーマに時間をかけて取り組むのは、それが短期的なアウトプットにつながらなくたって楽しい